容齋隨筆_卷十三晏子揚雄譯文
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查閱典籍:《容齋隨筆》——「容齋隨筆·卷十三晏子揚雄」原文
齊莊公遇難被殺之時,晏子既不死也不逃亡,而是說:“君主為國家而死,那么就為他而死。為國家而逃亡,就為他而逃亡;如果君主為自己而死,為自己而逃亡,不是他個人寵愛的人,誰敢承擔責任?”等到崔杼、慶封和國內的人在太公的宗廟結盟說:“有不親附崔氏、慶氏的。 ”晏子嘆氣說:“我晏嬰如果不親附忠君利國的人,有天帝為證!”晏子這番話正和豫子所說眾人待我如何如何那番話意義相同,只是不為莊公獻出生命罷了。至于他堅決地據守正義,拿國家利益作理由,不是豫子能比得上的。揚雄在西漢作官,親身經歷王莽叛漢的變亂。退步托身在一般士大夫行列中,不和官位高的人一同去死,終身堅持正道,與晏子同等。社會上有些儒生拿他的《 劇秦美新》 來貶斥他,其實是不對的,因為這是揚雄迫不得已才寫的。頌揚新莽的恩德,結果只能是美化殘暴的秦王朝,其中深意不難體會。序中所說新莽與傳說中圣明的五帝一樣,甚至比夏禹、商湯、周文王、武王還強之類的話,有史以來沒有聽人說過,這只不過是在戲弄王莽罷了。如果揚雄善于逢迎討好,杜撰符命,稱頌功德,以此求取高官厚祿,本應與國師公等同了,怎會一直窮困如此呢?齊莊公之難,晏子不死不亡,而曰:“君為社稷死則死之,為社稷亡則亡之;若為己死而為己亡,非其私昵,誰敢任之?”及崔杼、慶封盟國人曰:“所不與崔、慶者”晏子嘆曰:“嬰所不唯忠于君,利社稷者是與,有如上帝!”晏子此意正與豫子所言眾人遇我之義同,特不以身殉莊公耳。至于毅然據正以社稷為辭,非豫子可比也。揚雄仕漢,親蹈王莽之變,退托其身于列大夫中,不與高位者同其死,抱道沒齒,與晏子同科。世儒或以《劇秦美新》貶之;是不然,此雄不得已而作也。夫誦述新莽之德,止能美于暴秦,其深意固可知矣。序所言配五帝冠三王,開辟以來未之聞,直以戲莽爾。使雄善為諛佞,撰符命,稱功德,以邀爵位,當與國師公司列,豈固究如是哉?
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